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太田城(2007/09/05)
画像情報元:常陸太田総合案内

現在、常陸太田市歴史資料館で佐竹展が開かれている。テレビでも報道され注目を集めている。 これにちなみ、常陸の国太田城のことに触れていきたい。 太田城は常陸国にあった城で、常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台、現在の太田小学校に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青竜城ともいわれる。 本郭は現在の太田小学校一帯。 二の郭は内堀町から若宮八幡宮一帯。 三の郭は栄町の大部分で北側が搦手『からめて』とよばれている。 これらの郭は明治の初期に国から町の有志に払い下げられ、土塁をくずし堀を埋めて宅地や道路が造られたが、大正末期まで土塁や郭の一部が残っていた。 この城の起源は明らかではないが、天仁2年(1109年)に藤原通延(藤原秀郷の四世)が、下野国から太田郷に入り、太田大夫と称して築城したのが始まりであるという。次の佐竹氏は河内源氏の棟梁の八幡太郎義家の弟の新羅三郎義光(常陸源氏・武田源氏の祖)の流れを汲む名族である。初代当主は、源義光の孫・源昌義が常陸国久慈郡佐竹郷に住み地名から「佐竹」を名乗った事から佐竹昌義が初代である。源昌義が後三年の役(1051年〜1062年)の功により領有することになった地名をとって佐竹氏を称したのち、二代佐竹隆義は当時の太田城主藤原通盛(通延の孫)を服属させて小野台地(瑞竜中学校周辺)に移して小野崎氏を名乗らせ、自らは太田城に入った。入城の日、太田城の上空を鶴が舞いながら飛んだので「舞鶴城」と名づけたという。太田小学校の舞鶴城あと碑。なお。この鶴が常陸太田市のシンボルマークとなっている。
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